interview Vol.2
2018.10.08
―ここでどうしてもうかがいたいことがあって。メディアって、編集長が「独裁者」なのが本質じゃないですか。だから、編集長が「潰す」って言ったら潰すし、「残す」って言ったら残すっていうのは、誰がどう言おうと変わんないと思うんです。
で、Plus-handicapって、この時期、危機的なものが若干あったと思います。僕はそこで、「どうやって」ではなくて、「なぜ乗り越えたのか」っていうことに関心があって。「どうやって」っていうのは、ただガムシャラに目の前の波をくぐり抜けていけばできるものですけど、そこではなく、「なぜ乗り越えたのか」っていうところに、すごい興味があるんです。
「乗り越えない」「このまま消える」っていう選択肢も当然あるじゃないですか。
佐々木:今振り返ると、Plus-handicapって、最初の1年と、ここ最近ぐらいしか面白くないんです。僕自身も一歩引いてたんです。
―引いてた?
佐々木:ライター一人ひとりに向き合っていない、いわば、ただの商業路線に走ってる感じ。要は、「原稿上げたら、ある程度『いいね!』も付くし、ある程度PVも稼げるし、それでいいんじゃない?」っていう。振り返ってみると、2014年の夏以降って、「編集長が一番数字が取れるメディアは駄目だ」って言ってた気がしますね。
―編集長が一番数字取れることで、どんな具体的な不都合があるんでしょうか?
佐々木:編集長ってある種、黒子なはずなんです。メディア自体のクオリティを担保するのが仕事なはずで、原稿1本当たりの数字を稼ぐことが一番の役割ではないと思っていて。「やっぱり佐々木さんの原稿いいよね」って言われて、数字が取れるって状況は、不都合だなと。ライターにちゃんと価値発揮させようよと。
だから、法人化したタイミングから、僕自身は原稿書く量を減らしてます。最初は、みんなに書いてもらえるよう、戦略的に引いてました。ただ、そうすると、全体のクオリティって結局下がるんです。それが半年ぐらい続いたのが、「よく覚えてない」って言ってた時期に当たるんでしょうね。
あの時の僕自身、執筆原稿は「一本入魂!」じゃなくて、「取りあえず、順番が来たから書くよ」といった具合の、流れ作業的なものもあったと思います。
…今日インタビューがあるからと、この1年くらいの記事を読み直したんですけど、僕、デンマーク留学日記の記事がなかったら、さっき指摘があったみたいに多分辞めてます。
―ちょっと、それ初耳です!
佐々木:Takahashi Namikoちゃんっていう、このライターの原稿が来てなかったら、僕は辞めてました。
…なんだか分かってきた気がする。この頃って、誤解を怖れずに言えば、ライターに対する愛情が薄くなってたんです。メディアを立ち上げて、子どもができて自分の人生のステージも変わってきて、ちょっと収入も増えたりして。いろいろ違う仕事で価値を発揮することもできてきて。
今、思うと、まだ全然やり尽くしてもないのに、Plus-handicapに対してやり尽くした感があったんです。
―ちょっと前に「完成形」みたいなこと、おっしゃってましたよね。
佐々木:そんな感覚だから「自分の想像を超えてくるような原稿は、もう出ないんじゃないかな」とまで考えてました。「原稿書きたいんです」と問い合わせをもらっても、「どうせこういう原稿を書いてくるんでしょ、ほら、やっぱり」みたいな。
読み手のリテラシーも上がっているし、メディアに僕らが発信してきたような情報も溢れてくるようになった。そんな中、編集長が「今のメディアが完成形だ」と思って「原稿を更新するだけでメディアを存在させている」って状態を作っていると、関わりの量も減り、原稿の質も下がる。ただ維持させるために活動するという状態になってきます。
―じゃあ、留学日記の話って、何が違ったんですか?
佐々木:「『障害者』っていう言葉のイメージが一貫してネガティブなこと」に対する抵抗みたいな。「久しぶりに来た!」って。
―もう少し具体的に説明してもらってもいいですか?
佐々木:この頃って、「私、これができるから、これが書けるから、原稿書かせてください」といった、「何かができる」前提での問い合わせがほとんどだったんです。ただ、Namikoちゃんの場合は「デンマークに留学するから、自分の考えたこととか、やってきたこと、やっていくことっていうのを記録に残したいんです」って言ってたんです。
このタイミングで、今まで想定していたものとは違う、うちの使い方の話が来たな、と。
―確かに、今まで見てきた中だと、前例がないですよね。
佐々木:神経性の難病を抱えていて、進行が遅いからすぐに死ぬことはないけど、徐々にできることは減っていくという女の子で。あと、すごく目がキラキラしてたんですよね。
「この子のために、Plus-handicapをちゃんとやろう」と思ったんです。ひょっとしたらですけど、僕、初めてかもしれない。
―何が初めてなんですか?
佐々木:このライターのために、このメディアをやろう、と思ったことです。
―じゃ、いわば、その記事が「新しいPlus-handicapの旗」みたいなもんですよね。
佐々木:そうですね。
―だとすると、ある意味、その子に可能性を感じたってことですか? そして、「その子のために何かをしてあげられるPlus-handicap」っていうメディアとしても、また新しく可能性を感じたってことですか?
佐々木:そうですね。「まだPlus-handicapって捨てたもんじゃねえな」って感じたんです。うちの記事を読んでくれていて、細かく期待してくれてる人がいる。昔はそうだったなって。
「1人でもいいから読んでくれたら嬉しいよね」って言ってたのが、今や1000人、2000人が読んでくれる状態になってくると、「これくらいでみんな読んでくれるっしょ」って、つい思っちゃう。
だけど、本当に、この人に書いてほしいなって思う人が出てきたことで、多分、心を入れ替えたんでしょうね。
―なんか、素敵ですね。
佐々木:2016年の暑い時期に連絡をもらって。
「12月ぐらいにデンマークに行くから、自己紹介の原稿書きますね」って言ってて、しばらく待ってたんですけど、原稿が来なかったんです。
ああ、来ないのかなと思っていたら、突然2本ぐらい届いて。LINEで既読付いてるのに…みたいな気持ちと似てますよね。
その時に、久しぶりに原稿が届く喜びを感じたんです。「やっぱ書いてくれるんや」みたいな。
今までは「ちょっと書いてもらえませんか?」って言って、原稿を書いてもらってたような状況が続いていたのが、相手が自発的に「書きたい」って手を上げてくれて、しかも、上がってきた原稿がめちゃくちゃ良くて。「時間をかけて書いたのかな」っていうような苦心の跡とかも見えて。
「僕ら以外に、ここまでちゃんと時間をかけて、Plus-handicapに原稿書いてくれる人がまだいたんだ」って、すごくほっとしたような気がしたんです。それはあるな。
そういったタイミングがあって「Plus-handicapの価値観を初期に戻しましょう」「これはPlus-handicapじゃないと書けないよねっていう原稿をちゃんとみんなで絞り出せるようにしたい」って宣言したのが、ちょうど2017年の年明けぐらいです。
―ずいぶん、長かったんですね。
佐々木:そこからは、だいぶPlus-handicapでやってきたことは覚えてる気がします。
―この時期あたりから、「また記事がいいな」って感じた覚えがあります。
佐々木:このあたりから感覚が戻ってきたんですよね。
―もっと具体的に、どの時期くらいからかって覚えてますか?
佐々木:留学日記のちょっと前に、うつ病を患っていた小松亜矢子さんが「共依存という病がもたらした夫婦の結末」っていう、自分の離婚の話を書いてきて。この記事、久しぶりにサーバーが飛んだんです。
そのあたりから、「Plus-handicapって、そもそもこういうのを書いてたメディアだよね」って思い出してきて。そのタイミングで、Namikoちゃんから留学日記の1本目の記事が届いた。
ここで「やっといけるな。もう一遍、戻せるな」っていう確信が持てたんです。
―またエンジンふかしてきた、ってわけですかね。
佐々木:もう1個付け加えると、2013年の立ち上げから法人化するまでと、ここ最近の半年ぐらいのPlus-handicapって僕のワンマンなんです。いわば、組織内にボトムアップを求めない状態。
―「独断的なメディアの方が、やってる方も、読んでる方も圧倒的に楽しい」って、よく言われてることですよね。会議制が敷かれると、一気につまらなくなるっていう。
佐々木:この状況が続いてる方がPlus-handicapらしさがあったり、「僕が『メディア運営って楽しいな』と思う時間が続く」とすごく感じてます。