interview Vol.2
2018.10.08
―記事のその後の変化について聞いてもいいですか? 早くも7月には脳脊髄液減少症(※5)の重光喬之さんが登場したり。
※5 脳脊髄液減少症…脳・脊髄周囲にある脳脊髄腔に存在する脳脊髄液が漏れ出て、減少することにより、頭痛、頸部痛、めまい、耳鳴りなどの症状を引き起こす疾患のこと。
また、アトピー患者向けのサービスやっている野村千代さんが執筆した、「アトピーってそんなに大変な病気なん?」みたいに、ナマっぽい体験型の記事がどんどん増えてきますね。
ちょうどこの時期、メッセージ性の高い、尖った記事が、先ほど挙げたようなタイプの記事とどんどん重なってくるんです。そのクライマックスが「24時間テレビにナメられてしまっている障害者の現在地」という、佐々木さん執筆のもので。
佐々木:すごい分析ですね。
―僕の考えだと、Plus-handicapって、公開わずか3カ月で、いきなり過渡期を迎えてるんです。3月に立ち上げて、7月の時点で、いきなり急ピッチで変わってるっていう、すごい状態を迎えてる。こういった路線っていうのは、当初、どういうふうに決定されてったのか…。
佐々木:僕の独断と偏見です。
―というと、どういう考えだったんですか。
佐々木:Plus-handicapは、「生きづらい人のなかなか知らないリアルを届けるウェブマガジン」って当初名乗ってたんですが、その3ヶ月というタイミングで、「生きづらさに焦点を当てたウェブマガジン」に変わったんです。ちなみに、今だと「言えそうでなかなか言えないことを伝えるメディア」ってしています。
で、さっきの話ですけど、その記事の頃って、「なかなか知らないリアルをひたすら突き詰めよう」って言ってたんですよね。「『当事者だからこそ出せるよね』っていう苦しみ、痛みみたいなものをとにかく出そうぜ」みたいな発想でいました。
―ある意味、当初の路線が先鋭化してったっていう感じですね。
佐々木:そう、だと思います。
―「生きづらい人のなかなか知らないリアルを届けるウェブマガジン」から、たった3ヶ月で、「生きづらさに焦点を当てたウェブマガジン」と、テーマがグッと短くなったじゃないですか。余分な部分がこの間に排除されて、より尖ってったって雰囲気ですか?
佐々木:そうですね。あの時は、他のライターさんたちに「あなたにしか書けないことを書いてください」ってよく話してた気がします。「当事者性を極める」みたいなところに終始持っていってた感じ。
―実際、そんな時期って、ライターさんとかとどういう感じで向き合ってるんですか? もう全部出してしまえよ、って感じなんですか?
佐々木:内部のメンバー、編集サイドとは、いろんなことを話してたと思います。「自分がこのメディアでこういうことを発信していきたいんだ」とか、「こういうメディアだったら面白いんじゃないか」とか。「生きづらさってどうすれば解消できるんだろう」って話も含めてよく語ってた気がします。
でも、他のライターさんに対しては、正直、僕は当時すごくビジネスライクだった。「より痛みとか、苦しみが伝わってくる文章にしてください。じゃないと分かんないっすよ」って。「どれだけしんどいかのエピソード集ですよ、これは」みたいな言い回しをしてた気がします。「うちでしか書けないことを書いてほしい」とか。
―なるほど…。
佐々木:僕は義足を履いてますけど、障害者の友達はほとんどいなくって、そして、健常者の世界で生きてきた。そしてそして、障害者が嫌いだった。そういった、自分に書けることをずっと書いてきました。
でも、24時間テレビの記事で何か変わったんです。
―そうですよね。ちょうどこのあたりから、メディアの性格が一気に変化してますよね。
佐々木:このあたりから「コラムサイト」に変わろうとしてるんです。戦略的には「『当事者あるある』を書き続けられる人がそれなりに増えたから、コラムを書けるやつはもっと書いていこう」になったんです。
―そういう路線変更の意味を聞きたかったんです。
佐々木:実は、僕、24時間テレビの記事でPlus-handicapを閉じる予定だったんですよ。
正直、当時のPlus-handicapって、Facebookの「いいね!」の数とかもたいしたことないし、PV数を見てもあんまりみんなが読んでる感じがしない。半年経ってきて、だんだんみんな「もういいんじゃね? 疲れたよ」みたいな雰囲気になってきた。
同時期に、僕と矢辺卓哉さんの動画対談があったんですけど、あそこでお互い、障害者や障害者雇用に関して言いたいこと全部言っちゃったんですよね。
それもあって「もう出すものがない」ていう感じにもなってきたから、ひっそりと全員に「辞めます」って言おうかとまで思ってて。
そこで、あの24時間テレビの原稿を書いたんです。最後だし、書きたいこと書こうって。今でも神保町のサンマルクのカウンター席の隅っこで書いたことを憶えてます。あれは、いってみれば1個の「卒業論文」なわけです。読み返すと拙いところがいっぱいあって滅入りますけど。
―ある意味、「パンクロック」ですよね。パンクバンドってアルバム1枚、シングル1枚出して、「やり切った」って思ったところで、内部も完全に燃え尽きてしまってて、「じゃ、もう潰そうか」ってなるじゃないですか? Plus-handicapって、発想から何から、完全完璧にパンクメディアですよね?
佐々木:それはもう間違いないと思います。
―「Plus-handicapでしか書けない記事」で思い出したんですけど、僕、めちゃくちゃ好きで、メディア運営者に読ませたい記事がこの時期3つあるんです。
ケイヒルエミさんの『「外国人の特権と生きづらさ」を生む「外国人=白人」という日本人の思い込み』、細井愛香さんの『可愛いは作れるけど、もう懲り懲りです。』、そして、飯田るゐさんの『女子高生の正義感』って記事なんですが。
この人たちの文章は、Twitterなどで今共有されている、「カワイイ」「女子高生」「外国人」といったことにまつわる問題を先取ってるようにみえました。全部、2013年に発表された記事だってことに、僕本当にビックリして。これはどういうきっかけでできたんですか?
佐々木:ケイヒルさんは、一番最初に問い合わせしてくれたライターです。
「うまくうちを利用したい」って思ってるタイプだったんで、当時の僕からすると、すごく心地よかったです。マネジメントとかしなくていい、みたいな。あとの2人は僕の1番の悪友が支援してた子たち。
―あ、そういうつながりなんですね。
佐々木:正直、その頃ぐらいから、「自分より若いライターの原稿じゃないとウケない」っていう感覚があったんです。
―どういうことですか?
佐々木:「若い価値観を受け入れられないジジイババアがああだこうだ言っている、偏見を作っている」っていう流れが生きづらさの元凶のひとつだと思ってたんですよ。
僕自身、「年上の人から学ぶことはあんまりない」と思っていて。年下の人から新しい考え方を学ぶ、受け取ることが大事だと考えてます。年上の人が先輩風吹かせて、年下に物言いするのって大嫌いなんですよ。
―本当、素晴らしい!
佐々木:年上の人が言ってることって大抵どっかに書いてあるんですよね。
でも、「年下の子の考えって、自分からその世界に下りていかないと絶対に知ることができない」って感じて、初めて原稿を頼んだのが、るゐちゃんです。記事自体は、2本しか書いてないんですけどね。
でも、その2本を見た時、若くて生きづらさを抱えている人の原稿をどのように取り上げるか、取り上げる必要があるのかってめちゃくちゃ考えました。原稿はそれなりに編集しましたけど、基本的には生原稿の感覚のまんまです。
根拠のない自信、過信だけで突き進んでた頃に、「よく分からないけど楽しそうだから」といった、るゐちゃんみたいな動機で関わってくれる人は、メディアとして曲がりなりにも形ができあがった今はもう来てくれないですね。
このへん、ロックバンドのデビュー前のファンとデビュー後のファンの違い、に似てるかもしれません。
―この後、結構、重要なことを聞いていこうと思うんですけど。佐々木さん、2014年の4月に、長男が誕生されますよね? この前後なんですが、「当事者意識ってどうすれば持てるの?」とか、「自立ってなに?」っていうイベントを開いてるんです。
こちらが言いたいのは、大きいライフイベントがPlus-handicapに影響して、また違うコンセプトが出てきたんじゃないかって…。
佐々木:そこは、ちょっと違うと思う。
―違う?
佐々木:子どもが生まれて、守りに入っちゃった時期は夏ぐらいからなので、その頃はまだイケイケだったと思います。
僕の中で、その「当事者意識ってどうすれば持てるの?」っていうイベントを超えるものはないんです。
それは何かっていうと、「当事者意識なんて持てねえよ、ばぁか」って本音を、最初の5分で言っちゃったというイベントだからです。答えを期待してきたお客さんを最初に真っ向から否定する。70人から80人くらいの集客で、今までのイベントの中でも大きかったんですが、そんな肩すかしをやっちゃう。あの時のグルーヴ感は、もう二度と出せないと思う。
―特有の「巻き込まれていく感」ですね。
佐々木:人って、成長というか変化していくじゃないですか? あの頃の無邪気さ、がむしゃらさ、「何も分かってないからこそできた」っていう感じはもう出せないです。「当事者意識」と「自立ってなに?」のふたつのイベントはもう二度とできないし、Plus-handicapのある意味、完成形だと思ってます。
―えっと、それはどういう意味で「完成形」なんですか? 自分の目指してきたものが全部達成したって感じでしょうか?
佐々木:Plus-handicapを立ち上げた当初のコンセプトを体現できたメンバーが全員集まってくれた、関わってくれたのが、その二つのイベントで。全員で集まって、思いっきり遊んだ。僕らだけが面白がれた。そういう皮肉ったところが「完成形」です。
―あぁ、そういうことですか。
佐々木:それ以降、Plus-handicapも法人化したり、違う色のメンバーが入ってきたり、各人で違う方向性を向いていたりと、いろんなことがあったので。その前だからこそできた無責任感とか、何やっても許される感じとか、好きなメンバーで好きなだけ集客してたっていうのは、その時ぐらいかな。バンドがメジャーになる直前の状況みたいなもの。あの瞬間はもう超えられない。
―そう言われると肌感覚で分かります…。僕、まだ父親ではないんですが、「親になる」といろいろ変わってくるものですか?
佐々木:変わってきます。さっき話したイベントの後ぐらいに子どもが生まれて、ちょうど法人化しようっていう時期とも重なった結果、背負うものが増えちゃったんです。
―さっきおっしゃってましたよね。
佐々木:背負うものが一気に増えた時ぐらいから、インターンの採用を始めるんです。2014年の秋ぐらい、法人化してすぐからかな。「お金を払ってこの原稿書いてきて」っていう仕組みを作るようになるんですね。
―以前は違ってたんですか?
佐々木:その前は、完全にボランティアです。誰に対してもビタ一文払ってないです。
―書きたい人は原稿書いてきて、と。
佐々木:そう。
なんですけど、僕自身は背負うものが増えた。子どももいるから、家族を守らなきゃいけない。法人化したから、真面目に事業しなきゃいけなくなった。今まで「ライター対Plus-handicapの編集長」っていう関係性のみでよかったものが、「代表理事」という肩書きが付いたせいで、いろいろなコミュニケーションの構図、しがらみが増えたんです。「父親」というのも責任が重たい。
関わる人、交わされるコミュニケーションの数が増えるから、Plus-handicapのコンセプトも揺れるし、いろんな解釈が生まれてくるようになってくる。この頃、「活動がしんどくなった」っていうのは事実だと思います。
―佐々木さんがまさにおっしゃるとおりで、2014年の夏以降から、ライターの交代頻度が上がって、ちょっと停滞感があったんです。
佐々木:そうですね。
―さっき言ってた、「守り」っていうのが一番近いような気がします。
佐々木:今まで攻めに攻めに攻めまくってたところを、「ちょっと置きにいこうかな」って部分が増えてきたんです。それこそ「いいね」ほしいな、みたいな。正直、その頃って何を書いてたか全然覚えてない…。誰が何書いたかも覚えてない。
―そうですね。僕も記事をずっと読んでいて、ちょっとよく分かんなかったです。各記事の方向性が微妙にバラけてて、「ん?」っていうのは確かにありました。
佐々木:そこで一気に読者も減って、昔は「あの原稿、読んだよ」って言ってくれてた人からも、そういう話がなくなって。無気力とかじゃないんですけど、「何のためにやっとったんやろな?」みたいな、無意味に近く感じたかな。