interview Vol.2
2018.10.08
人間は生まれてからずっと「生きづらさ」との関わりを余儀なくされる。ひとつ解決したと思うと、また新しい「生きづらさ」が目の前に立ちはだかる。この厄介な問題は、見方を変えれば、私たち自身の「現在の姿」といえるだろう。
Plus-handicapはそんな「生きづらさ」と素手で格闘し、時として人が直視を避ける言葉も投げつけてくる唯一無二のメディアだ。対峙する相手が次々と姿を変えてくるように、Plus-handicapも設立から短期間で大きな変化の山を幾つも越えてきた。
そんなPlus-handicapが突き進む進路はどこにあるのか、編集長の佐々木一成氏に今回切り込んだ。
―個人的に、「その人の人生観がメディアの性格を決定する」「自分の原体験がメディアの中身に大きく影響する」と考えています。だから、まず、佐々木さんにはPlus-handicapの今の姿勢につながる、「大きな原体験」の話をうかがいたいなと。
佐々木一成(以下、佐々木):「なぜPlus-handicapを立ち上げたんですか?」って聞かれた時は、「同族嫌悪」と説明しています。続けている理由はちょっと違ってきましたけど。
―というと?
佐々木:「『障害者』っていう言葉のイメージが一貫してネガティブなこと」に対する抵抗みたいな。ちっちゃい頃、別に何もしてないのに「頑張ってね」とか言われてたんです。
―親とかに、ですか?
佐々木:いや。近所のおばちゃんとかに。母の当時の方針だったらしいんですけど、「外から見て義足って分かった方がいい」っていうことで、膝上丈くらいの短パンをいつも履いてたんですよね。
その頃って、まだ別におしゃれが云々ってこともなかったので、短パンを履くことに抵抗はなかった。ただ、周りの人には「あの人、足引きずって歩いてる」「あれ? 義足だ」「左足はギブスみたいだよね(本当は装具)」と分かってきます。
なので、全然知らないおばちゃんから、「障害があっても頑張ってね」みたいな声かけがあったんですよ。
―それって、何歳くらいの時の話なんですか。
佐々木:小学生くらいの頃です。ただ、物心ついてからは、だいたい何かしら言われてたと思います。あとは「佐々木くん、すごいね」ってよく言われてました。ただ、これも、「佐々木一成」という人間を評価してくれてたのか、「障害があって頑張ってる」から評価されてたのか、分かんなくなっちゃいますよね。
障害があるっていうだけで、周囲の期待値は下がるんです。「障害を抱えていても、この子はこれだけ頑張っている」っていう振れ幅の部分が評価につながってくる。「この考え方、評価方法はポジティブじゃないな」って思います。
―そんなふうに言われて、どう感じました?
佐々木:当時の僕はまだ純粋な心を持ち合わせていたので、「頑張ってね」って言われると、「あ、ありがとうございます、頑張ります」ってカンジでした(笑)。
―素直ですね。
佐々木:友達にも恵まれてて、障害があっても関係なく接してくれてて。むしろ、学校では「お前、ちゃんと持久走の練習出ろよ」「さぼってんじゃねえよ」みたいな感じでしたよね。
例えば、体育の授業で持久走があると、ほとんど見学してたんですけど、その時とかも、「お前、どうせ女の子としゃべるために走らんのやろ」って。女の子の見学者ってだいたい何人かいるので、いつもイチャイチャしゃべりやがって、みたいな。
―なるほど(笑)。
佐々木:そういう状況の中で、むしろイジられるぐらいだったし、そこに違和感もなかった。
ただ、社会人になって、東京に出てきて、当時の上司に「足が痛いとか、そういうことがあったらすぐに言ってね」って伝えられたんですよね。
そこで初めて、障害を背景にした「優しさ」に触れたんです。すると、昔おばちゃんに言われた、「頑張ってね」みたいな声かけもオーバーラップしてきて。「そうやって人は見ているんだな」って、22歳にして初めて気付いたんです。
―「え? あれ?」みたいな感じ?
佐々木:そう。これまでのコミュニティの中では、「障害とか関係ねえよ」「好き勝手やれよ」みたいな状況だった。
ただ、就職して、「職場」という新しいコミュニティに入って、初めて配慮らしい配慮、声かけをしてもらった。その時、「障害者ってそういう存在なんだ」って初めて気付いたんですよ。
同期入社のメンバーも「障害があることに対して、どう接していいか分からない」って、素直に言ってくれたやつもいて。
「普通の人間として扱ってくれ」っていう言い方は気持ち悪いんですけど、「普通に接してくれて全然問題ないのに」「わざわざ障害とかピックアップすんなよ」ぐらいの気持ち。これが僕の中で、一つの「原体験」というか、考えさせられるきっかけになった出来事ですね。
―ありがとうございます。「ネガティブ」という話、もう少し聞いてもいいですか。
佐々木:「障害者」っていうモノ・コトにアンテナを立ててみると、基本的にネガティブなんです。「障害者」っていうだけで「すごく大変」「かわいそう」「つらいよね、頑張ってね」っていうイメージが生み出される。
少し話を逸らしますけど、僕は26歳で独立して、会社を立ち上げたんですが、当時はアプリ開発やクラウドサービスの立ち上げで起業しようとしてるメンバーが周囲に多かったんです。
すると、女の子たちが「起業家って超カッコいい!」って感じで騒ぐ。実際はほぼブラックな労働環境で金もないし、実際には消えていった人たちも多い(笑)。そんなネガティブな環境にいるような状態なのにもてはやされている。
当時でいえば、僕は「障害者」と「起業家」という2つのカテゴリに属しているともいえました。でも、それぞれのカテゴリから見ると、僕のイメージは真逆になる。
―確かに…。実態とは別に、字面から受ける印象ってありますよね。そうした社会的なイメージってどんどん強化されていく気がします。
佐々木:「そうしたイメージって誰が作ったんだろう」って思った時、もちろん社会側が抱くイメージもあるんですけど、「これは当事者自身が作ってるよね」と。
障害者が全員、それこそ毎日ハッピーに暮らして、「人生、充実しまくってるやん」みたいな人たちだらけであれば、そんなイメージ持たれないはずなんです。反対に、起業家って「仕事で活躍していて、頭も切れるし、身なりだっていい。ちゃんと物事考えてるし、人生も楽しく謳歌してる」と社会で見られていることが多いんじゃないかと。
「起業家」と「障害者」ってそれぞれグルーピングされてるのに「なんでこんなにイメージが違うんだ」と思った時、僕は、当事者に責任があると思っちゃったんですよね。
だから、「当事者側が意識と行動を変えない限り、何も変わらんのやない?」って感じたんです。ちょうど誰でもブログサイトが立ち上げられるような時代になってきて、ネットを見渡しても障害者に対して物申しているメディアってなくて。健常者側からすると、障害者に何かものを、改善提案を言う、ってそれなりに怖いことなので。
「じゃあ、その切り口でやったらいいかな」って思ったのが、ちょっと話長くなりましたけど、Plus-handicapを始めたきっかけです。