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interview Vol.2

2018.10.08

人生の「矢印」を変えられるのは自分だけ Plus-handicapが目指す"一歩先"

「選択肢が多い人」が豊かな人

―少し話を戻すのですが、会社在籍時代のお話を聞かせていただいてもいいですか。ブログで拝見したんですけど、佐々木さんは教育部門に在籍していましたよね。

佐々木:はい。社員教育、社員研修の部門にいました。

―「教育業界どげんかせんといかん」っていうことも昔おっしゃってましたよね、アメブロ時代。そのこともあって、佐々木さんのイメージが、「Plus-handicapの編集長」というより、「元々はカナエール(※1)に関わってる人」っていう方が強くあって。
 
※1 カナエール…NPO法人「ブリッジフォースマイル」と「カナエール実行委員会」が運営する、児童養護施設を退所した若者の夢をサポートする奨学金支援プログラム。スピーチコンテストへの出場と、大学や専門学校といった進学先の卒業を条件として、返済義務のない奨学金を給付している。この仕組みによって、進学率が低く、また中退率も低いとされる施設退所者の「資金」と「意欲」をサポートする。7年間の実働を経て、2017年に終了となった。

佐々木:あなたと知り合ったタイミングって「greenz.jp(※2)」(グリーンズ)の主宰する「green school Tokyo」のマイメディア学科にいた頃だと思うんですけど、同じ時期に、多分カナエールの実行委員とかやってました。僕はメディア発信も教育ツールだと思ってるんです。
 
※2 greenz.jp…「一人ひとりが『ほしい未来』をつくる、持続可能な社会」を目指すNPO法人グリーンズが運営するウェブマガジン。社会の課題解決や新しい価値創出のためのヒントを提供している。

―だから、いつから教育のフィールドに関わってて、今、教育っていうものをどう考えてんのかなっていうのを聞きたいなと思って。Plus-handicapって、教育をテーマとした定期イベントにも力を入れてますよね。こちらの見立てだと、「このメディアでは『教育』がデカい存在を占めてるな」って。

佐々木:なるほど。想定外の質問ですね。
 
元々は教員志望だったんですよ。ただ、大学時代にバイトで塾講師をしてたら燃え尽きた感があって。あと、塾長がモンペの相手しているところを見ると、大変だなあって。教員免許も、通ってた大学だと1時間目とか5時間目とか、そんな時間帯の講義受けなくてはいけなかったんで、めんどくさくて履修せず(笑)。
 
そんなこんなで就職したら、何の因果か、「組織コンサルティング課」という社員教育の部門に配属されたんですよね。

―そういう経緯が。

佐々木:「教育って何のためにあるんだろう」と考えた時、「選択肢を増やすため」なんだろうなって気が付いて。以前、「豊かさとは何か?」というテーマでワークショップを開催したんですが、そのとき「選択肢の多さ=豊かさ」と定義付けることができて。
 
「お金を持ってる」とか「時間がある」とか、そういうことを抜きにして、「選択肢が多い人」が豊かな人だと今思ってるんです。「自分がこの道にも行ける、あの道にも行ける。じゃあ、進路どこにしよう」って悩んでる人ってすごいぜいたくじゃないですか。それって「どこにでも行けるチャンスがある」っていうことなんで。
  
「選択肢の数を増やすこと」が教育だと思い至ったとき、Plus-handicapは「いろんな背景を抱えている人がゴロゴロいて、そんな中で、こういう考え方をもって、こうやって生きてる人がいるよ」って選択肢を提供することが役割だな、と思ったんです。
  
その意味では、「自分とこの人は合わないな」っていう気付きも、「この人の考え方、いいな」「ちょっと真似してみたいな」っていう思いも等しく選択肢になります。

―選択肢について、もう少し具体的な話をいいですか。

佐々木:例えば、僕らの原稿を読んだ時に「社会にはこういう人たちもいるんだ」から始まって「もし自分が障害を負ったら」「鬱になったら」「自分の息子がセクシャルマイノリティーだったら」とふと想像する。そこで、10年先、20年先に似た状況が発生したとき、僕らの原稿が生きづらさを解消するヒントになっているかもしれない。これも選択肢ですよね。
 
また、「自分の関係性の中にいる誰かとの関わり方が変わるかもしれない」っていうのも、僕にとっては選択肢の提示になります。
 
選択肢があるかないかって、「情報を持っているか」なんですよ。それも、質と量どっちがいいかっていう話ではなくて、質も量もあったほうがいい。情報をどれだけ持っているかっていうのが、僕は、人を幸せにするとか、生きづらくなくなるための一つの秘訣だと思っています。
 
だから、結局、メディア運営と教育ってリンクしてるんですよね。

―選択肢って、今、聞いてて思ったんですけど、「外部から受け取れる情報」っていうだけでなくて、この人の後についていきたいとか、この人を選びたいとか、そんな一人ひとりの姿っていうことになりますよね。

佐々木:モデリングですよね。どの先行モデルを自分の中でチョイスしていくか、みたいなところが、大事なのかなと思います。

 

「優しいメディア」が気持ち悪かった

-なるほど。そうした思いを抱えつつ、Plus-handicapを2013年3月1日に設立したわけですね。最初のエントリーあたりに顕著なんですけど、「『障害』を理由にしない、言い訳にしない」とか、結構尖ったいらだちみたいなのがずっと見え隠れしてて。あと、この時期って、「若者と大人」とか「障害者と健常者」とか二項対立的な記事がかなり多いですよね。

「障害」を理由にしない、言い訳にしない

佐々木:多いですね。

―そういうのって、もともと自分の中にあったものを出してたのか、メディアを立ち上げたばかりということで戦略的に出してたのか、すごい気になってて。Plus-handicapが出る前後って、意外と柔らかいタッチの切り口のメディアが多かったじゃないですか。そこに殴り込みをかけたっていう自覚もあったのかな、とか思ってたんです。

佐々木:シンプルにいうと、気持ち悪かったんです。そんな優しいメディア自体が。

―その気持ち悪さって、佐々木さんのお話の中で結構出てきますけど、リアルなものから離れちゃってるっていうのが嫌なんですか? だいぶ以前のインタビューで、「感動させない」「ポジティブな気持ちにさせない」「読んだ後にダウナーな気持ちにさせる」ことを、当事者として意識しているとも言ってましたよね。

佐々木:その記事は2014年でしたっけ? 一つは「必死」だったんです。

―何に対して必死だったんですか?

佐々木:僕は「やさしい、あたたかい世界」みたいなものが、障害者に対するイメージを作ってきてて、なおかつ甘えを生んでるんじゃないかって、その頃思ってたんです。障害者を天使と言ったり。ギフテッドと言ったりするのも似てますよね。
 
なので、「お前らが変わらんで誰が変わるんや」ぐらいのキツい論調じゃないと、その雰囲気、空気を崩せないと信じてたんでしょう。今振り返ると、バカだなと思いますけど。「そうでもしないと覚えてもらえないんじゃないか」っていう感覚もあったと思います。

―当時はそこまで考えていたということですね。

佐々木:今でこそ、メディアの世界では、いろんな人が当事者に物怖じせずに言いたいことを言ってもいい風潮になったと思うんです。例えば、保毛尾田保毛男問題のウーマンラッシュアワーの村本さんの意見(※3)とかは、意見の良し悪しを抜きにして、マイノリティに対して自分が思ったことを言うという表れだと思います。

※3 村本さんの意見…2017年9月28日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」(フジテレビ系)に、石橋貴明扮する往年のキャラクター・保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)が30年ぶりに登場。この一件に対し、視聴者から抗議が相次いだことを理由に、同局社長が謝罪する事態となった。
 
その中、村本はTwitter上で「お前だけが被害者面すんな、おれも学歴や職業や考えで差別されてると思うことは沢山ある。でも生きる」「ゲイを笑いもの?バカか?想像力なさ過ぎだろ、あれはみんなゲイを笑ってるんじゃなく石橋貴明って人を笑ってる」と呟き、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹と一時意見を戦わせている。
 

 

 

なお、村本は「バカ」発言を後に訂正し、謝罪した。

 

 

でも、当時ってすごく意識高い系、ふわふわ系の人たちがいるのがウェブメディアの世界で、今もそうかもしれませんけど、すっごいきれいごとにあふれてるなって。「そんなきれいごとばかりのメッセージで社会が変わるんだろうか」「ミクロなリアルを見逃しているんじゃないだろうか」って。
 
そこは、さっき話していたカナエールの影響が大きいです。施設出身者のリアルみたいなものを知った時に、ふわふわした言葉で、この人たちのことは語れないなと思ったんです。

―その時のエピソードで、覚えてらっしゃるのってありますか?

佐々木:例えば、「俺の父ちゃん首吊ったんだよね」「それ見て施設入ったんだよね」っていう子どもや、「私は、絶対に施設出身っていうこと、誰にも言いたくない」って子どもがいたり。

―それは…嫌がらせを受けるとか、そういうことなんですか?

佐々木:そう。施設で暮らしているのは、自分に原因があるわけじゃないんですよ。そんな背景があるのに、嫌がらせも受けるし、イジメも受ける。「だから、私は『物心ついたときからずっと十何年間施設で育ってる』と、絶対に言いたくない」って話していました。
 
学校から帰る時も、ここって決めたマンションにいつも入っていく子どもとかもいるらしいんです。ここが自分の家っていうことでね。

―え? それって、どういうことですか?

佐々木:本当は、ちゃんと施設に帰るんです。だけど、施設に入るところを見られたくない、施設出身だっていうことを気付かれたくないから、後で裏道に抜けられるマンションにいったん入る。
 
そういう世界で生きてる子たちのことを聞くと、いまだにいろいろなウェブメディアのこと見てても思うんですけど、「そんなユルい優しいメッセージじゃ心には絶対に響かないよね」「代弁者的なことも絶対にできないよね」って。そういう子どもたちって、大人、それも、いい言葉とか優しい言葉を簡単にかける大人ほど信用しないですからね。
 
話を戻しますが、「障害があっても頑張ってね」って、聞き触りのすごくいい言葉なんです。もしかすると、その言葉が人助けだと思ってるかもしれない。でも、障害者としての僕から見ると、それってすごい軽い言葉というか、必要のない言葉だったりする。メディアで不特定多数に対して似た言葉を発信していたなら、それは罪が重い。
 
「そんな矛盾が結局蓄積されていってるよね」っていうのが、さっきのインタビュー記事の当時(先述の2014年の現代ビジネス掲載の記事)、僕の根底にあったものかなと。「口触りのいい言葉を使ったメディアをやることは絶対にNGだよね」って思ってました。
 
だって、本当にしんどい人たちのリアルを書いてるんだから、読み終わった後に読者がハッピーな気持ちになるはずなんてないんですよ。むしろ、ダウナー感だったり、もやもや感だったり、「うわ、こんな世界があるんや」「こんなヤツらがおるんや」みたいな、そういう鬱屈とした気持ちにさせたかったんだと思います。

―分かります。僕、板橋出身で。板橋区って、生活保護の世帯数が都内で5本の指に入る(※4)んです。
 
※4 都内で5本の指に入る…板橋区における平成28年度の生活被保護世帯数は14198世帯となり、足立区、江戸川区に次いで3位となっている。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kiban/chosa_tokei/nenpou/2016.files/28-7seikatsuhogo.pdf

僕の小学校の友達って、在日中国人、親が生活保護受給者で完全に超貧困家庭だったりって、周りがあまり相手にしない子が目立ってたんです。そういう子って、一緒に遊んでたりすると、親からネグレクトされてるからなのか、異臭がすごくて。
当時は、子どもだったから、そういう家庭環境のこととか、分かんないんです。でも、友達に「遊びに来る?」って言われて行ってみると、今でいうゴミ屋敷みたいな家で。ゴミが気になる中、僕とその子でファミコンをしてるんです。
 
そういう環境にいたら、佐々木さんが言ってることは、本当によく分かります。「頑張ってね」って掛けられる言葉は信じられなくなるんです。「え?」って。別の世界の言葉みたいに聞こえるんです。だから、「すごい自分に酔ってんな」って思ってたんです。そういうメディアの人たちって。

佐々木:「自分の承認欲求満たすためでしょ」「こういうこと考えてる俺、カッコいいでしょ」「こういうふうにみんなのこと支えてる私、カワイイでしょ」って思われたいってことなんでしょ、って。
 
…だから、少なくとも僕らは、どんなに苦しくってもしんどくっても、変えられるのって自分しかないんだよっていうメッセージを発信しようと思っているんです。「強く生きなさいじゃない」ですけど。

―サバイブですよね。

佐々木:自分の意識と行動をどう折り合いつけて、自分にとっていい方向に傾けられるか、幸せになれるように切り替えていくか。「矢印」を自分に向けて物事を考えた方が、気が楽になるんじゃないかっていう思いが、僕の根底にはあります。
 
バリアフリーの議論だと、目の前に段差があると社会側に責任を発生させることが多いですが、そこに段差があったら、どう乗り越えるか考えればいいだけのことだと思っています。「人にお願いすればいいんじゃない?」「回り道すればいいんじゃない?」って。誰も手伝ってくれないのであれば、そこで社会の問題になるような気がしてます。

―…すいません、脱線しちゃって。昔を思い出しちゃいました。

佐々木:この間、カナエールで僕が関わっていた久波くんとの対談記事を出したんですけど。彼との出会いはすごく大きかったと思います。この出会いがなかったら、Plus-handicapのキーワードは「生きづらさ」になってなかっただろうし、こんなに横展開、多様なサイトにしようとかは全然思わなかっただろうなって思います。