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Column Vol.1

2017.10.07

ほんとに好きなの? 「宛先不明」の向こうの旅  小宮一葉

役者をやっています、と自己紹介するようになったのはいつからだっただろうか。

 

“それ”はいつから始まったのか、いつ芽生えて咲くようになったのか、思えばラフマニノフとマリアカラスに胸を焦がしたあの頃なのか、初めて舞台へ立ったあの日なのか、初めてピアノを弾いたまだ言葉も話せなかったあの頃なのか、始まりはどこだったのか定かではない。

 

わたしの中でそれはずっと繋がっていて、でも繋がりと隔たりがうまく言語化できず、ただ、昔ピアノを弾いていました、いまは役者をやっています。でも音楽もまた始めました。この3行で伝わるはずもないことをはなから諦めている。

 

2月に、ベルリンへ行くことになった。

 

それが決まったのは1月の半ばで、映画監督の吉田光希さんから連絡があった。たしか一言、メールで、ベルリンきまりました。そのような連絡であったと思う。   

 

その一言で、様々な情景と想いの色が浮かんですこし胸が詰まった。

 

2016年の7月に撮影をした映画が、ベルリン国際映画祭のフォーラム部門へ出品が決まったという連絡だった。撮影中はまだ未定だった映画のタイトルは「三つの光」になっていた。

 

 

撮影前から、いろいろな想いが積もりすぎて身動きがとれなくなるような、撮影中は、ずっと明けない悪夢をみているような、極私的な体験のような錯覚を伴った作品だった。関わったすべての人の想いがすこし報われたような気がして、素直に嬉しいと思った。もちろん、現地へ行くことにした。

 

小さい頃から、飛行機でもなんでも、 窓際の席に乗るのが好きだ。運ばれていく景色がそのまま自身の内的な旅となる。

 

今回の旅も、きっと色々な要素を孕む内的な旅となる。そんな気がしていた。

 

フランクフルトで一度乗り継ぎをして、テーゲル空港へ到着すると、映画祭のスタッフの男の人がにこにこしながら迎えてくれた。空港を一歩出ると、きりりとした寒さに包まれた。寒いね、と吐く息は白く、空気はとても澄んでいた。

 

気付くと吉田さんがカメラを回している。少年みたいな顔になっていて、楽しそうだな、と嬉しく思った。

 

Berlinaleのマークが入った車に乗り込み、ホテルへと向かってもらう。

 

裸の街路樹を眺めながら、17年前にドイツを訪れたときの感覚を思い出していた。

 

そのときわたしはまだ13歳で、家族で、旅行で。そのときも、ひたすら、車の窓から流れる景色を見ていた。音楽を聴きながら、目を見開いて、景色を取り込みながら、深く呼吸をしていた。

 

かつてわたしはピアノを弾く子どもだった。物心ついたときから弾いていたピアノだが、1年生のときに先生が代わると、それからぐんぐん吸収するようになり、憧れの曲を与えてもらうのが楽しみだった。すこしずつコンクールにも出るようになった。初めて弾く喜びを感じたのは、モーツァルトのきらきら星変奏曲。小学校中学年くらいになると音大に行ったら、と先生に言われるようになった。なんとなく、そうしようかな、という方向になっていた。

 

けれども思春期特有の反抗心と、加えて持ち前の頑固かつ天邪鬼な性格が絡み合って、12歳のときに一度すっぱりピアノをやめた。今思えば、激しい競争の世界の入り口に少し足を踏み入れたところで、怖気づいてしまったのかもしれないとも思う。

 

やめてからというもの、今まで持っていた感情の出口を失ったせいか、すこし情緒が不安定になった。高校生ぐらいになると、自分で自分を分析できるようになったが、その頃はまだそんな術も持たなかった。

 

カトリック系の中高一貫の女子校に通っていて、いい学校で卒業するころには大好きになっていたけれどその頃は学校も大嫌いだった。シスターに会釈をし、隣人を愛しなさい、と呪文のように言われ続け、ただユダがなぜキリストを裏切ったのかだけが気になっていた。先生は誰もその答えを教えてはくれなかった。

 

13歳の春に、ある先生との出会いがきっかけで私はまたピアノを弾き始めた。

 

そのひとは、ベルリンに住みながら演奏活動をしているピアニストで、2ヶ月に一遍日本へ帰国して弟子たちにレッスンをしているひとだった。弟子にしてくれるかどうかはわからないが、とりあえず受けてみたらと、母の友人の紹介で、都内のスタジオへそのひとのレッスンを受けに行った。

 

弾いたのは、シューベルトの即興曲だったと思う。冷えて固まった指はうまく回らず、心もずっと動かない演奏だったと思う。なんと評価されるのか、顔を上げるのがこわくてずっと俯いていた。するとそのひとは立ち上がって、わたしの横へ来て、こう言った。「壊れたお人形みたいね。あなた。」

 

異国の地でひとりで色々なことを乗り越えてきた、ずっとエモーションを持ち続けて芸術を追及してきた美しいその人に背中を撫でられたとき、わたしはすこし泣いてしまった。それから一時間弱のレッスンのなかで、わたしはまた音に感情を乗せて出すことができるようになったのだった。それは一種のセラピーでもあり、宗教的な体験でもあった。

 

それからそのひとはわたしを弟子にしてくれることになり、わたしはまたピアノを弾くようになった。

 

学校や、友達のこと、音楽のこと。悩んでどうしようもなくなったときに、先生はいつも国際電話をかけてくれて、わたしが落ち着くまで話をしてくれた。

 

家族でドイツを訪れたのはそんな時期のことだったように思う。

 

それからまた様々な季節や局面を経て、わたしはまたピアノを弾くことをやめてしまった。いまは役者として映画祭に参加する為にベルリンを訪れている。先生とは10年くらいもう会っていない。正直、合わせる顔がない、そう思う。けれども表現者としてのいまのわたしを導き、形造ってくれたあのひとがいまも住んでいるであろうこの土地に、こういう形で訪れることができたのはとても自分のなかで意味があることだった。 ただの自己満足なのかもしれないけれど。

 

ずっと悩んで送れなかったメールを、うろ覚えのアドレスへ、飛行機に搭乗する前に送ってみた。

 

宛先不明で、メールは届かなかった。

 

そんな今までの自分の断章が、ベルリンへ着いてから、一気に感覚として蘇ってき た。いままでと、これから、これからと、いままで。過去も現在も、同時に息ついている街。ずっと来たかった場所。

 

そこへ私はようやく流れ着いて、立っていた。

 

一緒に作品を作った人たちと共に。

 

不安と、かすかな光を感じていた。

 

 

第二回はこちら

 

小宮一葉(Kazuha Komiya)
1986年生。東京音楽大学卒業。
在学中、今泉力哉監督作品に出演したことがきっかけで芝居を開始。2012年に公開した同監督の映画「こっぴどい猫」でヒロインを演じる。
出演した吉田光希監督「三つの光」が第67回ベルリン国際映画祭フォーラム部門出品という快挙を果たし、今秋公開中。
また2017年、tapestok recordsより〝faela〟として音楽活動も始め、single 「em」をiTunes、OTOTOYでリリースしている。

主な出演作:「ひ・き・こ 降臨」(吉川久岳 監督)、「お兄チャンは戦場へ行った!?」(中野量太 監督)、「5 to 9」(宮崎大祐 監督)
舞台出演作:マームとジプシー「cocoon」(藤田貴大 作・演出)
http://kazuha-komiya.com/
http://tapestokrecords.com/

 

題字イラスト

青木 公平 (kiki)
1981年日本生まれ
温室グラフィティ育ち
最近髪を短くしました。
言葉と線を便りに絵画等、作品を制作。
quiet revolutionをスローガンに、人の得意と得意を物々交換しています。
現在台南クリエーティブ集団「colorbit」所属。鎌倉在住
instagram @kikiintainan
kikisun.yumewomilu@gmail.com

 

写真

辻優史(Masafumi Tsuji)
1993年横浜市出身。多摩美術大学映像演劇学科にて映画を学んだ後、写真へ転向。
在学中に江口宏彦氏の下でアシスタント経験をする。最近の仕事はスケーター
マガジンの撮影の他、NHKのアーカイブス映像など。
https://www.masafumitsuji.com/