interview Vol.1
2015.03.02
―リリックについてうかがってもいいですか。『KING OF CONSCIOUS』と以前の作品とでは、リリックの内容も相当変わってきたと思うんです。基本的に誰かを対象に、またはイメージしながらリリックを書いているのでしょうか?
HAIIRO:対象物はその曲ごとに多分あったりするんですけど。まず以前と決定的に変わったっていうのは、割と内省的だったと思うんですよね、今までって。内省的だと思うけど、それを具象に近づけるっていうことを、自分と向き合うことと同時進行で行っていたんです。
休止期間も2年間あり、アウトプットせずに自分と向き合う時間が増えたから、結構溜める余裕があった。で、決定的に変わったなと思ったのは、ライブの際、1000人のお客さんの前でも、30人の前でも、歌う場合の精神面が同じになったってところです。
同時に、1人に刺さらないものは1000人にも刺さらない、1人に響かないものは1000人にも響かないし、1万人にも響かないっていうこともみえてきました。より対象がミクロになったっていうのはあります。
―もうちょっと前は漠然としていたということですか?
HAIIRO:今ほどハッキリはしてなかったでしょうね。だから、アイデンティティーの確立の部分が多分『KING OF CONSCIOUS』を経て一番大きかった変化でしたね。
―『TRUE BLUES』収録の「Rachel」、『KING OF CONSCIOUS』収録の「Seasons of Love」の2曲が一番印象強いのですが、その中で結構愛を語っていることが個人的には刺さってきてて。これって、創作活動を通じて変わらなく貫かれてる要素なんじゃないのかなって思っているのですが。
HAIIRO:そうですね、普遍的に僕の中にあるものですし。変わったことといえば2つあって。
「Rachel」はストーリーテリングが架空のものである一方、「Seasons of Love」は実体験というか、リアルであるっていう点でまず1つ違うんですよね。
もう1つは「Rachel」に関しては死を描いてる。愛を描いてるけど、その要素として死を描いてる。でも「Seasons of Love」は限りなく生を描いてる。その違いはあります。やっぱり生きている以上、死に向かっていようと生に向かっていようと、恐らく愛があるのではないかなっていう。それが多分、最も僕の中で普遍的なものですね。
―愛というものを裏と表から見たという感じですか?
HAIIRO:生と死って真逆じゃないですか。真逆なんだけど、どっちに行くにも多分愛が付いてくるっていうか。両方描いてみて、そう実感しました。
―ずっと、あなたを一貫して支えてきたものとか、存在について思い当たるものってあったりしますか?
HAIIRO:一貫して僕を支えてきたものっていうのは、多分「心」ですかね。自分を信じる心。自分を信じるっていうことは止めなかった。それは、いける気がしている時、ノリに乗ってる時、逆に活動休止していつマイクを握れるか分からないという時でも同じ。
そういう意味では、僕を同じように信じてくれたリスナーも含めて「支え」といえたのかなっていう感じはしますね。心の数だけ支えられたっていう気がします。ただ、自分の範囲でしか言えないですけど、己を信じることは止めなかったです。
―それはもう音楽活動始める前からずっとなんですか?
HAIIRO:もう中2ぐらいの時から、音楽で生きてくっていうのは決めてたので。それぐらいから、「駄目かも」っていうのはあんまり思ったことないですね。
―分かりました。清野さんの方でリリックについて気付いたことはあったりしますか?
清野:アルバムのデザインを作るときにまず最初に音源を聴かしてもらったんです。
そのときに最初に受けた印象は、なんかすごく自然に聴けて。しかもだんだん聴いていくうちに、リリックが自分のその頃に考えていたことや思ってる内容にとてもリンクする部分があるなとも感じました。メッセージに含まれる暖かさとか。
その後、HAIIROと話して得たヴァイブスなどでも、今一緒の方向を向いてるなと思ったんです。そこで「関われるな」って。
―重なる部分が大きかった、もしくは完全に見ている方向が重なっていたということですか?
清野:完全にかはちょっと分からないですけど。そうですね。
HAIIRO:正直言って、28歳でこういう生き方してる人間は、自然と同じ方向向くしかないよ。じゃなきゃ生きていけない。
清野:僕もいろんな人に助けてもらってるんですけど、やっぱり単独で活動することが多いんです。だから、そういう辛さだったりとかで響く部分が結構あって、「同じこと考えてんだな」って。
その中で、HAIIROが持ってる、友達を大事にする感じだったりとか、優しさだったりとか、そういうとこ変わってない良い部分もすごくあって。すごく「素」が出てる。
HAIIRO:最初に言われたのが素だったよね。「素なアルバムだね」って言われて。
清野:今までは、もうちょっとファンのことを考えたりとか、やっぱりそういう感じがあった。カッコよくしようとしてる感じ。
HAIIRO:素だなっていうのは俺も思う。着飾ってないっていうか、「なんも着てなくて逆に大丈夫なのかな」みたいな感じです。
清野:だんだん聴き込んでるうちに、なんか強いメッセージを隠していってるなっていうことにも気が付いてくるというか、音源からにじみ出てくるっていうか。それがいわゆる「クラシック感」と共通するのかな。
デニムと同じで、最初は普通だなと思うんですが、履き込んでくるとだんだん良さが分かってくるようような感じ。
HAIIRO:履いてくうちにそいつの顔になっていくことだろうね。だから、それぞれのライフスタイルに結構馴染むかも知れない。
僕が2年間の活動休止中に聴いてたのが、いわゆるサーフミュージックとかなんで。サーフロックとかもすごくよく聴いていたし、ライフスタイルにマッチしてるものに触れてたっていうのが結構デカいかな。世間的にいい悪いは別として、俺らの体には合ってるよね。
―「Ready To Die」や「インディーズ」など、収録曲のリリックにも「希望」とか「未来」とかそういう言葉が多く見られますよね。その点についてもうかがえれば。
HAIIRO:まずヒップホップをはじめ、「レベルミュージック」ってものは、若者に対しての音楽、若者がすごく感化されやすい音楽だと僕は思っていて。
そういう意味で、かつて衝撃を受けたアーティストがアルバムを出したぐらいの年に自分がなったのであれば、若い人たちに届ける歌詞を書くっていうのは、一つの役目、使命だと思ってます。
「未来」とか「希望」とかっていうのは、やっぱり若ければ若いほどなくてはならないものだと思うんですよね。それをようやく提示できる年になったという感じはあります。
―自分が以前にもらったメッセージをバトンみたいな形で届けるっていうことですね。
HAIIRO:形は変わるでしょうけど。でも、バトンであることがすごく大事だと思う。今って結構希望とか未来とか逆に見えづらい。
―見えづらいですね。
HAIIRO:僕らの時よりも。それこそ夢を持つのが恥ずかしいことであると思ってる人もいると思うし。
―聞き手としては、「希望」や「未来」って具体的な言葉、等身大の言葉で発せられてくると、やはりなんか心の中でグッとくるものがあるんです。「インディーズ」で泣いてしまいました。裸のメッセージって刺さります。
HAIIRO:それってさっきも言ったけど、普遍的なとこじゃないですか。一番根本的なところだし。僕らの世代とか僕らより上の世代だったら当たり前になってることだし。今のティーンズとかがもし持ってないのであれば、そこに響かせるってことは、やっぱり必要だと思います。
清野:リリックの全体的な内容が前向きになってるってのはすごくありました。過去を語ったり、一瞬顧みることはあるけど、そこから先に歩いていってる感じがある曲が多くてさ。過去ももちろん大事だけど、それをふまえた中で先に進んでるなっていう雰囲気が共感できたポイントです。
HAIIRO:なんかなかったことにはできないし。
清野:でも、今は今を生きないといけないじゃん。
HAIIRO:そう。なんか今を生きるっていっても、実際のところ、今って言った瞬間にもう過去になってるじゃないですか。だから本当に今を生きるってことは未来を生きることなんじゃないかなって。
だからリアルタイムのことを描いていったら、出る頃には過去になっている。今は結局過去じゃないですか。
だから、多くの人が捉えてる「今を生きる」っていう言葉は、『KING OF CONSCIOUS』では当てはまらない部分も多々あって。未来を生きることが今を生きるっていうことだから、未来を生きる、描くっていうことは結構意識したかなと。
清野:これまでの重みみたいなところを経験してるから、そういう考えを導き出せてる感じがするな。みんな多かれ少なかれ、そういう部分を背負ってきて生きてきているから、そこに引っかかってくる、何かしら感じる部分っていうのはあるんじゃないかなって思うよ。すごく活動休止の意味が出てると思う。
HAIIRO:そう。だから休止してなかったら、もっとどうしてた、どうできた、っていうのがないですね。休止しなきゃ語ることはできなかったし、逆にしてないほうを想像するのが怖いですよね。