interview Vol.1
2015.03.02
―次の質問に移りますね。1stの『TRUE BLUES』と、『KING OF CONSCIOUS』のデザインを比べると、発表時期はすごく開いているにもかかわらず、雰囲気の部分とかで通じるものがあるのかなって思ったんです。1st当時と今回とで、デザインについて考えていたことをうかがえれば。
HAIIRO:これまでのディスコグラフィーって、『TRUE BLUES』『forte』もそうなんですけど、写真の僕が右を向いてるんですよね。逆に、『KING OF CONSCIOUS』では狙ったわけじゃないんですけど左向きなんです。内容も結構対を成してるっていうか。不思議だったな。
2ndの『SAME SAME BUT DIFFERENT』の時に陽平と一度セッションしてて。
清野:あのアルバム、ジャケットの写真撮ったのは僕なんですよ。
HAIIRO:セッションの経験があり、なおかつ善紀くんの持っていたアーティストとしてのDNAを共有できる人って誰だって思った時、陽平が浮かんだんで、今回の件を頼んだんです。
僕の場合、リセット期間が1回あったから、いってみれば5枚目って「生まれ変わった1st」みたいなイメージがやっぱりあります。ただ、やっぱり比較対象は割と『forte』で、制作時の自分がダイレクトに出てるなって感じるのもそうだから。『forte』を上回るもの、っていう意識はしてましたね。
―1stからデザイン面に関わってきたという善紀さんの果たしてきた役割も聞いていいですか? 今回アルバムの帯が真っ青なのも理由があると聞いているのですが。
HAIIRO:群青の青ですね。
―善紀さんへのメッセージみたいなものがあったのかなって考えていました。
HAIIRO:善紀くんは、デビュー前から「絶対に君はいける」「音楽で生活できる」って言ってくれてた唯一の人、自分自身以外で唯一可能性を信じてくれた人なんですよ。
「SLYE RECORDS」から独立することになった時、レーベル(※3)名をいくつか出してたんだけどしっくりこなかったんですよね。でも、ふとした時に「forte」って言葉が降りてきて。「forte」って「強く」って意味で、「俺の人生のテーマかな」って結構思ったんです。
それを善紀くんに伝えたら、本当に数時間でレーベルのロゴが送られてきて。
※3 forteレーベル…2009年9月9日にHAIIROがAPORIA、横田善紀と共に設立した音楽レーベル。
清野:すごい。
HAIIRO:そのデータが黒バックにあのロゴの青なんですよ。だから僕は「forte blue」ってあの青を呼んでる。
善紀くんがちょっと活動休止するってことになって、今回のアルバムを誰に頼むかってなった時、少なくとも彼とセッションをしたことがある人、アルバムのデザインを依頼したって報告をしたら喜んでくれる人を基準に考えたんです。すると、やっぱり陽平が一番、僕の意思だったり、善紀くんの残してきたものをくみ取って表現してくれるという確信が持てたんで。
僕と陽平で話を進めるうち、自然とこの青を使わなきゃねっていう感じだったよね?
清野:そうだね。どんどん音楽をやらなくなっていく人とかがいる中で、久しぶりに再会して一緒にできたねっていうことをまず2人で話したんだっけ。
HAIIRO:そうだ、最初はそれがあった。「よく生き残ったよね」みたいな。
清野:いなくなっていってしまった人たちもいるし。
そこで振り返ってみると、善紀さんなんかは特に、めちゃめちゃ活躍してると思ってたので、逆に活動休止していることが結構ショックだったんですよ。だからそこで、彼らにデザインを通じてメッセージを届けたい、いい刺激、活力を与えられたらいいなってのはすごく思って。
僕はHAIIROのアルバムデザインをずっと見てきて、善紀さんはやっぱりヒップホップの中でもすごく洗練されてるデザインをずっとしてきていると思ってて。そういった「SLYE RECORDS」のデザインの“イズム”は僕の中にもあったから、そういうのは意識しないでも自然とメインビジュアルには出てきてたと思うんです。
今回のデザインの話に戻ると、帯は…全然しっくりこなかったんだよね、最初は。
HAIIRO:そう。いろいろやったけど、意味合いがないって話になった。
清野:それで、僕は何かの瞬間に、「forte blue」と善紀さんのことを思い出して。あの青をどっかに使わないと駄目じゃないかって急に思いついたんですよ。早速作って、HAIIROにイメージ画像を送ったら、帯の色が見事にマッチして。もうこれだって。
HAIIRO:僕は今回、意味合い―「ミーニング」っていうのをすごい大切にしてて。その意味合い的なところでかなりドキッとしたよね、アレには。
清野:普通はセオリーとか、デザイン面を考えて選択することのほうが多いと思うんですけど。作業的に大変だったりしても、それよりはデザインとして意味合いが強いほうを制作中ずっと選んできてたかな。
HAIIRO:陽平とアルバムのビジュアルを決めていく時、まず意味を聞いてましたね。これはなんでって。なんでって訊くのが結構癖で。
清野:すごい訊かれるんですよ。
HAIIRO:陽平が説明できて、こっちがその意味合いに納得できるんだったら、アリだと思うんです。そして、陽平はいつも納得できる答えを返してくれた。それが一番素晴らしかったことかも知れない。意味がないことはなかったもんね。
清野:直接的な意図とは外れるにしろ、ジャケットを見た人が『TRUE BLUES』とかとなんか似てるなとか、雰囲気が近いなって思ってくれるんだとしたら、個人的にはすごくありがたいなと思います。
―1stの時も、ずっと善紀さんに意味を聞きながら制作していたんですか?
HAIIRO:いや、当時は善紀くんのアトリエでずっと写真を撮っては見て、撮っては見ての繰り返しで。ちょっと加工してみたりとかで12時間ぐらい選んでましたよ。僕は当時20、21歳で。その当時から、善紀くんは、仲良くしてる人が「CHANEL」のウェブに使う写真を撮ってたりしてて、美的な部分でかなり引っ張ってもらったって感じがします。美意識の点では折れない人でしたね。
―そもそも、善紀さんとはどういうきっかけで知り合ったんですか?
HAIIRO:車の教習所の合宿でたまたま一緒だったんですよ。僕がその頃まだ18とかで、1人で尖ってたところに、声かけてきてくれた人が善紀くん。
―善紀さん、当時いくつくらいだったんですか?
HAIIRO:当時22とかじゃなかったですかね。でも、もうその時起業してて。俺はいつか戻ってくると信じてるけど。
清野:考えてみると、今回のアルバムはちゃんとHAIIROと関係のある、意味合いの強い人を選べた。関係性で作られたっていう形で、僕もそれをディレクションできてすごいよかったなって思ってます。
HAIIRO:そういう意味では、昔からのファミリー感っていうのかな、そういうのがある気がする。ただ、それってわざわざ表面に出さなくても自然にある感じのものだよ。それまでのつながりがちゃんとあったからこそのもの。
―ヒップホップでは、「ファミリー」や「クルー」の考え方が重要なものですが、『KING OF CONSCIOUS』の場合、お話を聞いていると、特にそう感じます。これまでかかわってきた人が集結して、1つの作品に結実したなと。
清野:クリエイティブ面にそれがしっかり働いてるっていう点では、本当の意味で「ヒップホップ」として出来上がってるのかも知れないですね。クレジットにいろいろな名前が載ってて、良い感じだなと。
HAIIRO:そうだね。何かしらちゃんと関係がある人しかいないから面白いね。だから、これまでのアルバムのクレジットを全部並べてみると本当に面白い。マスタリングも1stから変わらない人で。4thだけ違うんですけど。みんな主役的な感じです。
清野:クレジットも敢えて中ジャケの真ん中に置いたんですよ。ロゴも善紀さんが作った「HAIIRO DE ROSSI」を一番上に配置して。あれも絶対入れないといけないなって思っていたんで。
HAIIRO:そのロゴの配置の話は初めて聞いたわ。
清野:本当? みんなが主役っていう話もしてたから、映画のエンドロールみたいにしたかったんだよね。エンドロールでも、これまで関わってきた人の名前がずっと出てくるから、自然とこういう人を通過してきたって他の人にも分かるかなと思って。